パオロ事務局長の美食の旅~和牛「但馬玄」編~
2016/10/18
兵庫県香美町小代区は、日本で流通する和牛の99.9%(※)にその血が流れている”スーパー種牛”田尻号を生んだ「和牛の源流」だ。この小代の地で、国産飼料と放牧による畜産に取り組む上田畜産を訪ねた。
※平成24年2月現在 全国和牛登録協会調べ
2016年6月、スローフードインターナショナルのパオロ・デ・クローチェ事務局長が、一般社団法人スローフード日本の設立を機に日本を訪れた。本連載では、パオロ氏による“足元の自然から立ちのぼる食文化”をめぐる美食の旅に密着。和牛「但馬玄」・日本酒「灘の酒」・在来スパイス「有馬山椒」の3回にわたり、歴史や風土、生産者の思いに育まれる食の物語をお届けする。
<上記写真は、上田畜産の牛舎での1枚。後列左から時計回りに、パオロ・デ・クローチェSFI事務局長、株式会社上田畜産代表取締役上田伸也氏、有馬温泉の老舗旅館「陶泉 御所坊」の十五代目当主 金井啓修氏、金井ラミア氏、上田畜産専務取締役上田美幸氏>
但馬牛は和牛の「在来種」
「但馬牛」という銘柄をご存知だろうか? あまたある和牛ブランドのひとつと思われがちな「但馬牛」をひもとくと、実は他の銘柄とは異なる定義軸を持つことがわかる。
但馬牛には、牛肉の銘柄としての但馬牛(たじまぎゅう)と、素牛(もとうし)としての但馬牛(たじまうし)、ふたつの呼称がある。但馬牛(たじまうし)の子牛を地元で育てると、但馬牛(たじまぎゅう)に。松阪で肥育すると松阪牛、近江なら近江牛になる。
また、飛騨牛・佐賀牛・仙台牛・前沢牛などは、但馬牛(たじまうし)の血統を品種改良に活用した牛肉を指す。
<但馬牛ミニ博物館の掲示物。このほか、但馬牛の血統図などが保存されている。>
つまり、但馬牛は和牛の「在来種」。世界的評価を受ける「神戸ビーフ」は、但馬牛(たじまぎゅう)の中で厳選され格付けされたもののこと指し、血統としては但馬牛そのものだ。
歴史をさかのぼること約150年。明治初期、短期間で生長し、生まれる子供が大きい外来種が導入された。農耕牛として世帯ごとに飼われていた但馬牛は、産業として効率のいい品種との交配が進み、純血種は姿を消していった。
やがて、「牛肉の味が落ちた」と気づいた人々は、戦後になってようやく、小代の熱田に残った、たった4頭の但馬牛を探し当てたのだ。この4頭のうちの1頭が、冒頭で紹介した“スーパー種牛”田尻号の祖母にあたる雌牛「あつ」。
このときに和牛の血統が継承されていなかったら、今の和牛産業はなかったといえる。
<「和牛のふるさと」兵庫県香美町小代は、棚田が美しい山間の集落。和牛は、貴重な労働力として、棚田を耕す農家の手で育てられていた。>
「牛を健康に育てて出荷したい」
国産飼料と放牧による畜産に取り組む上田畜産
この小代の地で畜産業を営む上田さん夫妻は現在、繁殖から流通までを一貫して手がけ、国産飼料と放牧で、地元で継承されてきた純血の但馬牛を生産している。そうして育てたお肉は、「但馬玄」というオリジナルブランドや「神戸ビーフ」として流通している。
上田さんはなぜ、国産飼料と放牧という手法を選んでいるのだろうか?
「26年前に就農したときは、とうもろこしや大麦中心のハイカロリーな餌を与えていました。牛が風邪を引いたときに薬が効かなかったり、お産が難産な上に母牛が産んだばかりの子牛を攻撃したりと、『健康体』とは言えないことが悩みの種でした」。
そこで、15年前に「牛を健康に育てて出荷したい」と、胡麻油かす・ふすま・そば殻・アワ・ヒエなどを配合した飼料に切り替え、出産を待つ母牛の放牧を始めたという。抗生剤入りの餌の使用が大多数の現在、上田さんはそれを行わず、また疾病時の投薬においても化学合成薬を使用していない。
「新しい餌が合わない個体を死なせてしまったことも。『どこが健康やねん』と苦しんだ時期を経て、牛の健康を実感できるように。放牧でよく歩いた母牛は、お産もラクなんです」。
<胡麻油かす・ふすま・そば殻・アワ・ヒエなどの国産飼料は、母牛の乳の出具合や、発育状況に合わせてオリジナル調合している。>
<取材時、偶然にもお産に立ち会うことができた。人間が足をつかんで引っ張り出すようなシーンはなく、母牛の力だけで自然分娩。上田畜産では年間約200頭の子牛が生まれ、血統が継承されている。>